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神社縁起
延喜式名帳にも記載されており、創立は古く今からおよそ1900年前人皇12代景行天皇のとき、皇子日本武尊詔を奉じて軍を率い、遠く道の奥の国に入り蝦夷の地に至る。進んで営を此の地、中津郷の山要峯に移し(神社地内)その嶺頂に登り梟賊を平治せんことを祈り自親ら矛を収め三神を鎮斎し東奥鎮護の神として祠を建て、火石輪と称した。今の配志和神社である
第12代景行天皇40年(西暦110年)、皇子・日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征討のため、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の三神を「磐座山(いわくらやま)」通称九本松に奉齋し、悪徒退散を祈願したのが始まりとされる
平安時代、927年に成立した律令の施行細則「延喜式」の巻9・巻10(通称、延喜式神名帳)の中に「配志和神」とあり、所謂「(延喜)式内社」に列せられ、少なくとも当時には朝廷から認められていた霊験あらたかな神社であり、創建以来、当地総鎮守の神として氏子崇敬者の篤い信仰を集めています

御祭神
たかみむすびのみこと
高皇産霊尊
天地が初めてあらわれた時、天御中主尊・神皇産霊尊とともに高天原に最初に現れる神(造化三神)。産霊とは創造・生産を意味する。伊邪那岐命・伊邪那美命に国土をつくり整えるよう命じる
あまつひこひこほのににぎのみこと
天津彦彦火瓊瓊杵尊
天照大神・高皇産霊尊の孫にあたる。天照大神は「葦原中國は我が御子・正勝吾勝勝速日天忍穂耳命が統治する国である」としたが、地上の平定が難航している間に忍穂耳命と高皇産霊尊の娘との間に生まれる。「この子(瓊瓊杵尊)を降ろすのが良いでしょう」とした為、瓊瓊杵尊が地上治めるよう命じられ地上に降り立つ(天孫降臨)。地上に降り立つと、美しい神、木花開耶姫命と出会い結婚する
このはなさくやひめのみこと
木花開耶姫命
大山津見神の娘。瓊瓊杵尊と結婚したが一夜で身籠ったため疑われる。身の潔白を証明すべく「疑われるような子であれば出産は無事では済みません。そうでなければ無事でしょう」と言い、産屋に入り出入口を塞ぎ火を放ち、その中で無事に出産した。この時産んだ神は、火照命ほでりのみこと・火須勢理命ほすせりのみこと・火遠理命ほおりのみことで、火照命と火遠理命は海幸・山幸で有名。火遠理命の孫、神和伊波礼毘古命かむやまといわれびこのみことは初代・神武天皇である
以上三柱の神様を「配志和の大神」と総称し、御神徳は広大無辺、全てにおいて徳の高い神様でありますが、殊にも神話に基づき、生産、泰平、家内安全、安産、子育て、縁結びの神様として信仰されています
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